すみれのきろく

日々を記録する。私が私を忘れないように。

ユーモアと自尊心

八丈島で本気で

ああ私ここでこうやって死ぬのかな、と

本気で悟ってから、

どんなときも

どんな自分も

それはそれなり、と

受け入れるように努めています。

むしろ、忘れないように

あの、波にのみ込まれて手も足も出ず、

大量の海水が口に入ってきた瞬間を

仕事中にそっと思い出してみたり。

ああ私、こうやって下手くそな仕事して、

ゴニョゴニョして生きてる、

なんだかどうしようもない私も、

まあ生きてるだけいいかなって思えるから。

恐怖心は全くなかった。

ただ、死を瞬時に意識したことを、

前向きになるために、

頭のなかで再生する。

 

最近洋服を売ってて、自分でも着てみたりして思うのは、

私は自分のことを鏡で見られない、

見ているところを人に見られるのも苦手すぎる、

ということ。

外見に対するコンプレックスと、

なんだろーなー

人に対する警戒心?羞恥心?

まあ全ては自尊心低く生きてきてきたことに

起因するのだと思う。

私だって、自分にたいしてはわりと自分が好きだし、認めているところも沢山あるの。

ありとあらゆるチャレンジ、経験、傷ついて泣き叫んだこと、鬱、告白、過ち、それでも自分を諦めていないこと。

服だってオシャレだって本当は好きだし、変わった服を着こなすことも、できる顔だし。

でも世界にたいしては、

いつもどこか自分を卑下してる。

恥ずかしいと思ってしまう。

隠れていたくなってしまう。

さっき職場で素敵な羽織ものを友達と見ていたときに、人には勧めるのに自分が着てるときはおとなしいねって言われて気づいた。

鏡で見てくださいって言われるの、

本当に本当に苦手なの。

舞台に立つのは平気なのに。

こういうことは事の大小とは関係ないみたい。前後左右もなく、セオリーなし。

 

あとね、赤毛のアン読み返してて、

何度も出てくるユーモアのセンスについて。

私は真面目ってよく言われる。

意外とそうでもないんだけど。

今だってソファーに寝そべって

ワンピースからパンツ見えそうな格好で

スマホ触ってる、、

いつもわりとそんな感じほんとは。

まあこれはただ、だらしないだけか。。

 

真面目とユーモアって両立しない。

多分。

私は自分をどこか笑い飛ばせるところがいつもあって、それはユーモアだよね?

改めて考えるとユーモアって何だろう、、

どんな瞬間にもおかしなことを見いだす才能のことかな。

 

ユーモアと自尊心を

呼び覚まそう。

9月のよく晴れた気持ちのよい夜に

自分のための覚書。

今朝、ずっと買い替えたいと言ってた掃除機が

突然壊れた。

買い替えたいと思っていたことを忘れた頃に。

私の波動が変わったのかな。

なんだか疲れたわ。

お風呂にはいろ。

 


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表参道を御輿がゆく。

都会のなかで伝統や自然にばったり出会える瞬間が

好き。

 
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