すみれのきろく

日々を記録する。私が私を忘れないように。

ドラマでなくトラウマ

なんかこの言葉

似ている。

 

私は子供のころ物語が大好きで

歩いているときも本を読んでいる変態的な子供でした。

本がなければ生きられなかったし、

本と自分の現実の違いが

受け入れがたくて

現実が憎らしくて泣いたこともある。

 

でもここ数年

いろんな苦しみを味わってきて

「ドラマを否定する」ことが生き延びる方法かな、と

思うようになっていた。

というか、この場合、私の現実に起きたドラマのこと。

あの時ああだった、こうだった、傷ついた、分かり合えなかった、

あの人とはこうだった、ああだった、傷ついた、うんぬん。

 

そういうの、もう忘れて

ただ、今に、生きたいって思って。

 

だけどあんなに大好きだった物語を捨てることもできず

むしろ書きたい、とさえ思う。

思うけれども自分自身のドラマは否定してる、

みたいなややこしい構造が出来上がっていた、わけです。

 

こんな変なこと話してもだれにも通じない気がして

心の霧を放置していたのだけど

今日

昔お世話になった、そして迷惑かけた、

人たちに久々に会って(会えるようになったことがきっと成長なのだけど、相変わらず逃げたかったけど)

なんかふとわかってもらえる気がして話してみたら

 

それは言葉が違うんじゃないか。

すみれを苦しめてるのはドラマじゃなくてトラウマなんじゃないか。

 

って言われて

ああそうなんだってなんか腑に落ちた。

 

トラウマなんていうと大げさな気もするけれど

確かに、私はドラマは大好きなのに

そこにまとわりついた私自身の感情が大きすぎて

処理できないままになっているんだ。

 

だから、ドラマは、好きのままでいい。

 

最近はもうわけがわかりません。

何もわかりません。

考えることをやめて神様にお任せ。

 

時間堂の岸田國士、面白かった。

時間堂の面白さはストレートでシンプルなドラマと俳優の魅力だと改めて思う。

 

かつて、一瞬、私もそこにいた。

いろいろ複雑で泣きたくなるけど

泣かずに、歩く。