すみれのきろく

日々を記録する。私が私を忘れないように。

自分の世界を生きる。

本や映画の感想を書こうと思っているのだけど

私の内面を吐露する傾向になっているこのブログ。

 

正直に言って

私は自分の感情や気付きを語ることが好き。

好きなのだけど、

そういうのって相手を選ばないといけないんだってことに

中学生くらいで気が付いて

恐る恐るやっていくうちにやりづらくなってきて

言葉を見失った。

見失ったものを探し出したくてブログを書いているのか、ワタシ。 

 

最近特に接客販売のお仕事をしていて

商品のうんちくとか世間話的なことを語らないといけないような立場になってみて

あー私、そういうこと話すのすごい苦手なんだって

気づいて

でも世の中はそういう会話でけっこう成り立ってるんだということも気づいて、

さて、私はそのスキルを身に着けられるんでしょうか?

という感じ。

生きていくには、そういうことも大事なんだって

大人になって少しはわかったつもりなんだけど。

 

今日は図書館で『赤毛のアン』シリーズを借りました。

たしか私が小学2年生の時に両親に誕生日プレゼントでもらった

掛川恭子さん訳の10巻シリーズ。

2年生の私には難しすぎてちっとも喜べなかったのだけど

4年生のおわりにふと手に取ってから夢中になりました。

赤毛のアンとの出会いと神戸への転校の時期が重なって

あのときに一気に自分という存在がはじけ、あふれだしたように記憶しています。

それまではいつも誰かの陰に隠れているようなところがあったし

お姉ちゃんが好きなものを真似してるだけ、みたいな感じだったから。

自信をもって、「私はこれが大好き!」って

誰の顔色をうかがうわけでもなくいいきれるものに

初めて出合えて、ある意味私自身が未知の私に出合ったのだと思います。

 

ハードカバーの分厚いシリーズ全巻が

今も実家の納戸の奥に眠っているのだろうけど

なかなか探し出せず

読みたくなるたびに同じものを図書館で借りています。

(ちなみに村岡花子さん訳のものは読んだことがありません。

一度挑戦したけど

私ははじめて読んだ掛川恭子さん訳の文章が

細胞にまでしみこんでいるから

村岡花子さんの文章にどうしても違和感を禁じえませんでした。)

 

今日も借りて帰ってすぐに読み始めて

なんだか涙がたくさん出たの。

私の心の故郷に帰れたような気持ちになって。

 

好きなものを好きだっていいきって

自分の好きな気持ちを信じて

好きなことで世界を満たして生きて

それでもいいって思えたことが最近苦しかった私にとって癒しでした。

 

ここ数日、映画版赤毛のアンを観ていたのだけど

映画版はどうかなー。

一番最初の『赤毛のアン』はわりと原作に忠実で好きです。

『アンの青春』や『アンの結婚』は

ストーリーがだいぶ違っているし(『アンの結婚』は完全オリジナルストーリー)

大人になってからのアンの性格が

原作よりキツい気がして、、私はちょっと受け入れ難かったです。

衣装や風景を見ているだけでも楽しいですけどね。

 

アンを読んでいると

私は子供の時からずっと私のままなんだと気付きます。

転校したり家出したり愛する場所から泣く泣くはなれたりぶったぎって走ったり

そんなことばかりで

私は自分が根無し草のように感じることが多かったのだけど

そんなことない、

私は私の世界をずっと歩いてきたし、これからも歩いていく、

そのことを肯定しようと思えて

どんなに世界が汚くても悲しみが溢れても

やっぱりアンのように

温かくて優しくて明るい、想像力に満ちた人になりたいと

子供の頃と変わらず

切に願いたくなるのです。