すみれのきろく

日々を記録する。私が私を忘れないように。

神様がくれる仕事

朝からどしゃぶり。

最近寒くなってきたせいかうちの猫ちゃんが私のおひざによく乗ってくれます。

今朝も私に体をしっかりくっつけて布団の中にもぐりこんでいるものだから、

出勤30分前まで布団から出られなかった。

 

その間にね、掃除したり瞑想したりいろんなことやったほうがいいかなって

思うことは思うのだけれど

でも

命より愛していた存在を突然亡くしてしまった経験のある私には

愛する猫と寄り添える時間は

最高の幸せだから。

雨の音に耳を澄ませて

スマホのアラームを何度も消しながら

一緒に

うつらうつら、、、、

幸せにゃん。

 

いま読んでいる本。

 

こうすれば、夢はあっさりかないます!

こうすれば、夢はあっさりかないます!

 

 

スピリチュアル本とか自己実現系は様々読んできて

でも結局は自分がどう行動するかだけだな、、と

読みすぎて逆にさとって

最近はあまり買っていなかったのですが

この本は本屋で立ち読みして「なんだかほかの本よりも私を助けてくれそう!」と

直感で衝動買い。

 

まだ前半しか読んでいませんが

スピリチュアルを生活に取り入れる方法が

平易な言葉で綴られていて

癒されます。

 

ここに書かれていることを

少しずつ実践していくことが

人生の充実に確実につながっていくと思います。

 

先週高田馬場にある預言カフェに行ってから

いただいた預言を録音したものを何度も聞いています。

私は預言カフェのリピーターで、5年ほど前から

人生に行き詰まったり鬱っぽくなったりするときよく一人でここを訪れます。

 

先週いただいた預言はこれまでもらった預言の中でも特に

私の今の状況や思いを言い当てていて

的確な救いと歩くべき道を照らしてくれました。いくつか抜粋。。

 

「結論をはじめにもってきて、こうかな、ああかな、と悩む必要はない」「過程においてはどこに向かっているかがわからなくて不安かもしれないけれど、あなたが今置かれている状況、場所、それはすべて神があなたに与えたもの。」「だからどんな時もそれを信頼していい。あなたが100パーセントなのではなく、神が100パーセントであり、あなたはどんなときも一人ではなく、あなたの歩く道を神が共に歩いている」

 

なんだか書いてみると漠然としているようだけど

実際私の今の状況も悩みも漠然としているからね。

預言の言葉ひとつひとつが私を励ましてくれたことは確かです。

 

 

以前お世話になっているチャネラーさんに

私は前世で聖職者だったことがあると言われたことがあり

だから私は「神様」を一般的な日本人よりも身近に、自然に感じるのかもしれません。

子供の時は母に連れられて日曜学校に通ってました。

 

私の主義としては

一神教が受け入れられないのでクリスチャンになる気はありません。

イエス様だけが神様、っていうのはね、他を排除してしまうと思うから。

だけど神様がどんなときも私たちを愛して導いてくれていることを

理屈ではなく、魂が知っているのかな、と思っています。

 

今日は仕事中、

すべての仕事を神様が私に与えてくれているものだと意識しながら

取り組みました。

明日も、その意識を持ち続けていられますように。

自分の世界を生きる。

本や映画の感想を書こうと思っているのだけど

私の内面を吐露する傾向になっているこのブログ。

 

正直に言って

私は自分の感情や気付きを語ることが好き。

好きなのだけど、

そういうのって相手を選ばないといけないんだってことに

中学生くらいで気が付いて

恐る恐るやっていくうちにやりづらくなってきて

言葉を見失った。

見失ったものを探し出したくてブログを書いているのか、ワタシ。 

 

最近特に接客販売のお仕事をしていて

商品のうんちくとか世間話的なことを語らないといけないような立場になってみて

あー私、そういうこと話すのすごい苦手なんだって

気づいて

でも世の中はそういう会話でけっこう成り立ってるんだということも気づいて、

さて、私はそのスキルを身に着けられるんでしょうか?

という感じ。

生きていくには、そういうことも大事なんだって

大人になって少しはわかったつもりなんだけど。

 

今日は図書館で『赤毛のアン』シリーズを借りました。

たしか私が小学2年生の時に両親に誕生日プレゼントでもらった

掛川恭子さん訳の10巻シリーズ。

2年生の私には難しすぎてちっとも喜べなかったのだけど

4年生のおわりにふと手に取ってから夢中になりました。

赤毛のアンとの出会いと神戸への転校の時期が重なって

あのときに一気に自分という存在がはじけ、あふれだしたように記憶しています。

それまではいつも誰かの陰に隠れているようなところがあったし

お姉ちゃんが好きなものを真似してるだけ、みたいな感じだったから。

自信をもって、「私はこれが大好き!」って

誰の顔色をうかがうわけでもなくいいきれるものに

初めて出合えて、ある意味私自身が未知の私に出合ったのだと思います。

 

ハードカバーの分厚いシリーズ全巻が

今も実家の納戸の奥に眠っているのだろうけど

なかなか探し出せず

読みたくなるたびに同じものを図書館で借りています。

(ちなみに村岡花子さん訳のものは読んだことがありません。

一度挑戦したけど

私ははじめて読んだ掛川恭子さん訳の文章が

細胞にまでしみこんでいるから

村岡花子さんの文章にどうしても違和感を禁じえませんでした。)

 

今日も借りて帰ってすぐに読み始めて

なんだか涙がたくさん出たの。

私の心の故郷に帰れたような気持ちになって。

 

好きなものを好きだっていいきって

自分の好きな気持ちを信じて

好きなことで世界を満たして生きて

それでもいいって思えたことが最近苦しかった私にとって癒しでした。

 

ここ数日、映画版赤毛のアンを観ていたのだけど

映画版はどうかなー。

一番最初の『赤毛のアン』はわりと原作に忠実で好きです。

『アンの青春』や『アンの結婚』は

ストーリーがだいぶ違っているし(『アンの結婚』は完全オリジナルストーリー)

大人になってからのアンの性格が

原作よりキツい気がして、、私はちょっと受け入れ難かったです。

衣装や風景を見ているだけでも楽しいですけどね。

 

アンを読んでいると

私は子供の時からずっと私のままなんだと気付きます。

転校したり家出したり愛する場所から泣く泣くはなれたりぶったぎって走ったり

そんなことばかりで

私は自分が根無し草のように感じることが多かったのだけど

そんなことない、

私は私の世界をずっと歩いてきたし、これからも歩いていく、

そのことを肯定しようと思えて

どんなに世界が汚くても悲しみが溢れても

やっぱりアンのように

温かくて優しくて明るい、想像力に満ちた人になりたいと

子供の頃と変わらず

切に願いたくなるのです。

 

 

ドラマでなくトラウマ

なんかこの言葉

似ている。

 

私は子供のころ物語が大好きで

歩いているときも本を読んでいる変態的な子供でした。

本がなければ生きられなかったし、

本と自分の現実の違いが

受け入れがたくて

現実が憎らしくて泣いたこともある。

 

でもここ数年

いろんな苦しみを味わってきて

「ドラマを否定する」ことが生き延びる方法かな、と

思うようになっていた。

というか、この場合、私の現実に起きたドラマのこと。

あの時ああだった、こうだった、傷ついた、分かり合えなかった、

あの人とはこうだった、ああだった、傷ついた、うんぬん。

 

そういうの、もう忘れて

ただ、今に、生きたいって思って。

 

だけどあんなに大好きだった物語を捨てることもできず

むしろ書きたい、とさえ思う。

思うけれども自分自身のドラマは否定してる、

みたいなややこしい構造が出来上がっていた、わけです。

 

こんな変なこと話してもだれにも通じない気がして

心の霧を放置していたのだけど

今日

昔お世話になった、そして迷惑かけた、

人たちに久々に会って(会えるようになったことがきっと成長なのだけど、相変わらず逃げたかったけど)

なんかふとわかってもらえる気がして話してみたら

 

それは言葉が違うんじゃないか。

すみれを苦しめてるのはドラマじゃなくてトラウマなんじゃないか。

 

って言われて

ああそうなんだってなんか腑に落ちた。

 

トラウマなんていうと大げさな気もするけれど

確かに、私はドラマは大好きなのに

そこにまとわりついた私自身の感情が大きすぎて

処理できないままになっているんだ。

 

だから、ドラマは、好きのままでいい。

 

最近はもうわけがわかりません。

何もわかりません。

考えることをやめて神様にお任せ。

 

時間堂の岸田國士、面白かった。

時間堂の面白さはストレートでシンプルなドラマと俳優の魅力だと改めて思う。

 

かつて、一瞬、私もそこにいた。

いろいろ複雑で泣きたくなるけど

泣かずに、歩く。

 

仕事が向いていないと感じる。

まさにこのタイトルの通り。

はぁ。

今の仕事が向いていないと感じてる人、

世界中にいーっぱいでしょう。

むしろ、向いていると思っている人のほうが少ない気がする。

 

私は今接客販売をしています。

これまでの職歴は飲食店、スナック、ウェブデザイン、学童保育、漫画打ち込みなどなど多岐にわたっていて

今までのアルバイト先を指折り数えると20近くの職場を渡り歩いてきたことになります。

演劇をしていたから、なかなか定時の仕事にはつきにくかったこともあります。

人と接する仕事を選んできたのは、私が元々極度の人見知りで、美容室に入る前にお店の回りを10周くらいしてしまうような人間だから、、矯正できる環境が必要だったのです(;_;)

 

で、今の仕事。

お店自体は大好きなんです。

緑と古くて美しい照明がまじりあって

世界中からあつまった民芸品や雑貨、洋服などありとあらゆるものが楽しげに陳列されていて、

特別な雰囲気があって、まるで魔法の国に迷い込んだような気持ちになる。

 

これまで私は、<素敵なお店にいる素敵なお姉さん>という人種と自分は

完全にちがうものだと思ってきたから販売職なんて絶対できないと思ってた。

いまの職場に初めて客として行った時も

自分なんかがこんな素敵な場所にはそぐわないと信じていたから

もうこそこそ隠れてできるだけ話しかけられないように、

もっとゆっくりながめたい気持ちを押し殺して

いそいそと逃げ帰った。笑

 

でも去年ふと、

どういうところで働きたいと思うかということが

自分自身への評価とか自己愛の度合いと一致しているということに気が付いて

私は今までの自分だったら絶対にできないと思うことに

チャレンジしてみたくなった。

 

<素敵なお店で働く素敵なお姉さん>、

に、

私がなってみることだってできるかもしれないって

信じられるようになった。

スピリチュアルに取り込んで自己愛が少し高まったせいかしら。

 

こんなところで働けたら絶対に幸せだって信じたの。

面接に受かったときは本当に嬉しかったし

初出勤の前はドキドキが止まらなくて

お店で浮かないように古着を探し回って

化粧だって最初はしっかりした。

今じゃほぼすっぴんに逆戻りだけど、、

一日中動いて汗だくになるので意味ないの!!

 

今はちょうど3か月がたったところで

仕事には少しは慣れてきたけれど

正直販売という仕事にどうしてもなじめなくて

違和感と疲労感がつのる日々。

<素敵なお店で働く素敵なお姉さん>

になることはなれたけど(素敵かどうかはおいておいて)

リラックスしていないから内向的になってしまって

頑張ってはみているものの

生き生きした私でないことは私が一番わかっています。

自分の担当がしっかりと決まっている仕事のほうが私には向いていて

今は全部ぼんやりしているから

「これでいいの?」「こんなんじゃ私だめなんじゃない?」

とか考えすぎてしまって新人で大した仕事を任されているわけでもないのに

体も心もへとへと。

 

さらに今日は元アルバイトの人が遊びに来ていて、

私以外のみんなと楽しそうに談笑する様子を見て、疎外感と自己否定感を強く感じてしまいました。私はいつかこんなふうに仲良くなれることができるのかしら?って…

 

アルバイトだし、

研修期間中なので研修期間でもうやめることもできますが

完全に自分の希望に一致する仕事なんてないし、

半年もすればもう少しいいかもしれないし、

とか毎日毎日悩んでいるのです、、

 

自分の得意なことを伸ばして

世の中に貢献できるのが一番いいってわかってるけど

私はなぜだか

いつも

苦手なものに手を出しては

悶々として生きているような気がします。

 

 

 

 

生きることはとてもシンプル

ブログをはじめたり、やめたり、葬り去ったり、

何度も何度もしてきたので

これがいつまで続くか全く自分でもわからないけど

それでもはじめるときは

何か楽しいことを、何か生きることに希望を、

という思いがいつもあることは確かです。

 

たいていその前に、

ひどく落ち込んで、生きることに疲れたような気分にもなったということでもある。

 

私は

本が好きで、

でも日本の小説はあまり得意でなく、

政府にはいつも批判的で

ドキュメンタリー映画が好きで

ダンスにいつも興味があって

鬱だった時期があり

舞台俳優をしていたことがあり

スピリチュアルが好きで

猫が好きで

動物たちの味方でありたくて

洋楽が好きで

ギターを習ってて

明るいものよりどちらかといえば暗いものが好きで

新しいものよりどちらかといえば古いものが好きで

ブラッドレンフロを愛していて

今は青山の民芸品やで

アルバイトをしながら

年上の夫と、

猫と

暮らしています。

 

私が「表現する」ことにとても興味があるのは

私が自分を表現することがとても苦手だから。

あるいは、苦手だと思い込んでいるから。

 

好奇心旺盛であらゆる本を読んであらゆる体験をしてあらゆる感情を抱いてきたのに

それをだれに、どうやって伝えればいいのか

わからなくて無口になってしまうから。

もしくは、違和感ではちきれそうになりながら

作り笑いでやり過ごしてしまうから。

 

でも本当は、

いつだって真摯に生きていたいのです。

つながっていたいのです。

 

今日は夫と谷中を散歩してこのお店で

biscuit.co.jp

 

ドイツのビンテージのスカートを買いました。

あとは、モスクワオリンピック公式キャラクターの

ミーシャの木彫りの壁かけ温度計。


f:id:pony_sumire:20160905235410j:image


かわいい。

雑貨屋はテンションが上がります。

それが生まれた国とか時代的な背景にロマンを感じるし、

手作りの場合は永遠に出会うことのないだろう

もしかしたらもう生きてないかもしれない

外国の作家さんと不思議な結びつきが生まれることの楽しさ。

 

生きる意味、とかなんとかいつも考えてしまうのだけど、

本当は、小さな喜びの積み重ねこそが

大事なのかなと思う今日このごろ。

本とか映画とかいつも読みっぱなしみっぱなしで忘れてしまうから、

ブログに記録していきたいと思っています。